大判例

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東京地方裁判所 平成4年(ワ)1144号 判決

原告

森野邊大作

右訴訟代理人弁護士

松井稔

小町谷一博

被告

有限会社ボスコプランニング

右代表取締役

溝上和子

右訴訟代理人弁護士

北川雅男

主文

被告は原告に対し、五〇〇万五〇〇〇円及びこれに対する平成四年二月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

事実及び請求

第一請求

主文第一、二項と同旨

第二事案の概要

本件は、原告が被告に対し、雇用契約に基づき未払給与と賞与との支払を求めたところ、被告は原告との雇用契約自体の存在を争い右支払を拒否している事案である。

一 原告の主張

原告は、被告との間で、平成元年一二月一日、給与は一か月七一万五〇〇〇円とし、これを毎月二〇日に締切り同月二五日に支払う、賞与は毎年七月と一二月とに各七一万五〇〇〇円を各当該月の一〇日に支払う旨の雇用契約を締結したが、被告は、平成三年九月から同四年二月分までの給与と同三年一二月分の賞与との合計五〇〇万五〇〇〇円を支払わない。

二 被告の答弁

被告は、原告との間で原告の主張する雇用契約を締結したことはない。

原告が締結したと主張する雇用契約の相手方は、平成元年一二月当時には訴外株式会社ジャパンレジャーランド(以下「株式会社ジャパン」という。)であり、同三年四月ころには訴外有限会社大野事務所であった。

もっとも、被告が原告に対し、平成元年一二月分から同三年八月分までの原告の主張する額の給与及び賞与を支払っていたが、これは、原告が株式会社ジャパンの従業員であった当時は原告の給与・賞与がその地位・経歴・年令等からみて他の従業員と比較して格段に高額であったため、このことを内密にする必要があったことによるものであり、有限会社大野事務所の従業員となった当時は社会保険に引き続き加入するための便宜上の理由によるものであった。

三 争点

原告と被告との間に原告主張の雇用契約が締結されたか否かである。

第三争点に対する判断

被告が原告に対し、原告主張の額の給与及び賞与の各支払を平成元年一二月分から同三年八月分までなしてきたことは被告の自陳するところであるが、この支払が支払義務者としての支払であったか否かを検討する。

証拠(〈証拠・人証略〉)を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告は、昭和五七年ころから株式会社全日警に勤務し、平成元年当時は海外事業部長兼警送事業部長の地位にあった。

他方、被告が原告との間で雇用契約を締結したと答弁する株式会社ジャパンの代表取締役大野興一は、かつて中古車価格の情報誌の発行会社に役員として勤務していたが、同社が倒産したため、昭和五六年四月一五日、広告宣伝を目的とする有限会社大野事務所を設立して取締役に就任した。しかし、同社もその後倒産したため、昭和五八年一〇月二八日に広告宣伝、ゴルフ会員権の販売等を目的とする被告を設立し、右情報誌発行会社当時の部下であった溝上和子に要請して取締役に就任してもらったが、その経営の実権は依然として大野が握っていた。さらに、大野は、昭和六三年一月二〇日にゴルフ場の経営を目的とする株式会社ジャパンを設立して、その代表取締役に就任してゴルフ場の開発等の事業を営んできたほか、大多喜レジャー開発株式会社等を設立し、いわゆる大野グループと称する企業グループを形成していた。もっとも、これらの会社の中で実際に営業活動をしていたのは被告、株式会社ジャパン、大多喜レジャー開発株式会社の三社であって、有限会社大野事務所は倒産後営業活動を全くなさない、いわゆる休眠会社であり、その他の会社も営業活動をしていなかった。そして、被告も、独自の営業活動をしておらず、株式会社ジャパンのための補助的業務あるいは同社がゴルフ場造成用地を買い受けるに際し、買主として名義人として利用されるに過ぎなかった。

ところで、大野は、かねてから溝上に自己の片腕として経営を任すことのできる人材を探すように依頼しており、偶々原告の妻と溝上が友人関係にあったことから溝上が原告に右のような人材を探して欲しい旨の依頼をした。この依頼を受けた原告は、紹介する上での採用等の条件を確認するために、平成元年一月九日ころ、被告本社において、大野及び溝上と面談した。この席上大野は原告に対し、改めて事業も順調に発展してきており人材が不足しているので然るべき人物を紹介して欲しい旨依頼した。原告と大野とは、その後数回に亘り採用者の給与等の条件について、溝上の同席の上あるいは同女の同席のないまま交渉しているうちに、大野は原告に対し、自己の後継者になってもらいたい旨要請し、原告もこの要請に応えることとし、かくて前述した条件の下で働くことを決意したものの、この雇用先については原告と大野との間においても、また原告と溝上との間においても明確な合意をしなかったが、原告は被告との間に雇用契約が締結されたものと考えており、大野は雇用主を明示しないまま雇用契約を締結する旨の意思を表示したに過ぎなかった。

かくて原告は、大野の経営する企業で勤務することとなったが、原告の仕事は専らゴルフ用地の買取等に携わり、同年二月二日には株式会社ジャパンの取締役本部長に、同年七月には同社常務取締役営業本部長に就任した。そして、原告に対する給与及び賞与の支払は被告においてなしてきたが、この財源は会計上も被告の計算において処理されていた(原告に対する給与及び賞与の支払を被告においてなすことについては被告の答弁するような理由によるものであり、この点については原告の了解するところであった旨の証人大野の証言は原告の供述と対比してにわかには信用することができない。)。ところが、その後、原告と大野との間で相互に不信感が生まれ、大野は、平成三年三月ころ、原告を排除することを企て、そのころ原告に対し、有限会社大野事務所で新規事業を企画立案することを要請し、原告も同年五月二八日これを容れて株式会社ジャパンに対し取締役辞任届を提出し、有限会社大野事務所の事実上の専務取締役に就任し、同社のために新規事業の企画・立案等に従事したが、結局いずれも事業として大野の容れるところとはならず、原告も事実上これらの事業には関与することがなくなるようになった。

右認定事実によると、大野は自己の経営する企業の営業を任すに足りる人材を溝上を通じて探していたところ、偶々原告が適任者と考えられ、原告に就業を勧誘し、原告もこれに応じて就業したというのであるが、就業先については被告をも含め大野の経営にかかる企業というものであって、明確に特定されていなかったというのである(溝上は被告代表者として原告の採用については全て大野に一任していたと推測される。)。この点につき原告は、大野か溝上かのいずれかが被告の社員になってもらう旨述べたと供述するが、この供述は証人大野の証言と対比してにわかには信用することができない。このような場合、原告の雇用者については、被告をも含めて、既に活動を停止していた会社を除外した大野の経営にかかる企業と認めるのが原告、大野及び溝上の意思に合致したものというのが相当である。原告は就業後株式会社ジャパンの役員としてゴルフ場用地の買取等の業務に携わっていたが、これは大野の経営する企業がゴルフ場の開発等の事業を営んでおり、被告もこの補助的業務等をしていたというのであるから、原告が株式会社ジャパンの仕事のみをしていたことにはならず、被告の仕事をもしていたと認めることもできる。そして、原告に対する給与等の支払は被告においてなしてきたのであるが、この支払は会計処理上も被告の計算においてなされていたというのである。このようにみてくると、被告も原告の雇用者の地位にあり、したがって、実質的にも原告に対し雇用者として給与等の支払義務を負担していたというべきである。

よって、本訴請求は理由がある。

(裁判官 林豊)

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